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2020.06.18

Haruhito×ANACHRONORM conversation

小西)Haruhito chの第1回目は、有限会社バランス代表取締役、ANACHRONORMディレクターの田主智基さんをゲストに招いてお送りします。

 

田主)よろしくお願いします。

 

小西)新型コロナウイルスが猛威を振るっていましたが、少し落ち着きを見せてきたような気がします。感染対策に関して2人で話し合った結果、本日は気温も高いということでマスクを外して収録しましょう。

 

田主)まだまだ油断は出来ませんが、やっとこういったこともできるようになりましたね。

 

小西)本当にそうですね。まずは今回の経緯から話していきたいと思います。

 

田主)あの時に2人で電話で話した内容のことからですね。

 

小西)はい。

Haruhito jeansが4月にパリやロンドンのユーザーを中心に発信しているメディア【Wallpaper Magazine】に紙面特集していただいた直後、パリのショールームが6月の展示会のオファーをくれたのです。新型コロナウイルスの流行という現状を考えると6月は無理だろうという事がすぐに頭をよぎりましたが、それ以前に海外にプロダクトを持っていくことなんて今まで考えた事すらなくて、海外においてアパレル産業を実際に肌で体感された人、しかも自分の感覚値と嗅覚でゼロから何かを立ち上げた人の経験談をお聞きできないかなあというのがまず最初のきっかけでして…。

 

田主)たしか電話をくれたのはGW開けくらいのタイミングでしたね。

 

小西)最初、多分断られるだろうなー、と思いながら電話させて頂きました。

僕のプロダクトはまだ海外では勿論のこと、国内ですら知られていないような小さなプロダクトですが、そんなところからのオファーをなぜ受けてもらえたのでしょうか?

 

田主)電話をもらった時、それほど悩むこともなく了承しました。健太郎君は僕が個人的に面白がっている若手ですので。僕も若くしてブランド的なものを始めて、当然その当時、上の方々からの圧のようなものを感じていて、けれど反抗心というか、何か自分の中に”俺はこうだ”というものがありました。それが若さの良いところです。かけがえのないこの時期にしか持ち得ないものだと思いますし。今これくらいの年齢になってこういった形で迎えてくれる人が現れた時に、自分はどうあるべきかと考え、了承しました。

 

 

小西)大変恐縮なお言葉です。

最初はシンプルにこの悩みを相談させて頂ければなー。くらいに思っていたのですが、折角だったらHaruhitoの現在ぶちあたっている壁というか、決してきれいなものではない、今の悩んでいる生々しい姿をエンドユーザーに公開するという事が、情報のキャッチが並列化した世の中に”今っぽく”てフィットしているのではないかという結論に2人で至り、本日の収録を迎えさせて頂きました。

 

【①,Haruhito jeans の海外での展開について】

 

小西)早速ですが本題に入りたいと思います。

先程お話ししたパリでの展示会ですが、6月のタイミングは見送らさせて頂き、現在は2021年の1月はどうか?とのショールームからの提案を受けてスケジュールの調整をしているところです。

 

田主)ちなみにパリ以外からのオファーもありましたか?

 

小西)ロンドンのショールームからもブッキングを頂きましたが、まずはパリから挑戦してみようかなと思っています。

めちゃくちゃ単刀直入にお伺いしてみたいのですが田主さんから見てHaruhito jeansは海外で通用すると思いますか?

 

田主)経験をしてきて、僕がそれをどう思うかですね。

 

小西)ここは気を遣わずに言ってください。

 

田主)今、健太郎君が日本でしているモノづくりの形をそのまま向こうに持っていって、例えば年に2回ポップアップとしてパリやロンドンやベルリンやミラノなどのヨーロッパ各地で展開するのであれば、僕は非常にいいのではないかと思います。ただ絶対にそこには計画ありきですけど。それが恐らく僕から見たHaruhito Jeansらしさを表現できるスタイルであると思うし、今のファンの皆さんも絶対にそう思うはずです。キャラクターも含めて個人のパーソナルな部分も含めて。それが健太郎君の作り出すHaruhito jeansの良さだと思うので。

 

小西)なるほど。僕が今もらっている海外での案件の着地点は、恐らく卸とダブルネームになってしまいそうな気がしています。

 

田主)例えば僕がしてきたようにブランドの卸を1つのファッションビジネスとして向こうでするのであれば、もしかしたらもっと別のコンセプトでしなければならないかもしれません。

 

小西)Haruhito Jeansというのはどちらかというとエンドユーザーありきのプロダクトです。エンドユーザーがある程度指定をしないと完結しないプロダクトになっている、所謂ビスポークです。それがパリで受け入れられるのかということに関しては、まだトライしていないので当然ですが、正直全然予想がつきません。

 

田主)そもそも卸ベースから始まっていないですよね。そこに魅力があります。

 

小西)卸でのブランド展開は資本主義においては重要なビジネスの形と思っていますが、先ほども話に出ましたがHaruhito Jeansはエンドユーザーとのコミュニケーションありきのプロダクトですので、通常のかたちで卸のオファーがあったとしても、その形式が現状のHaruhitoの”良さ”を壊してしまうのでは?とも同時に思ってしまいます。

 

田主)価値としてまず大きなところは、オーダーメードで直接対面して会話ができるということです。それが拒絶されてしまったのが、今回のコロナウイルスです。こうして対面で話をすることは今まで当たり前でしたが、実は非常に価値があることなのです。今後はその方法がリモートなどの、恐らくテクノロジーの関係なだけであって、根本は変わりません。そのパッケージングを、例えばパリやイギリスのロンドンに持っていくためにはまず現地でのアプローチの継続が絶対に必要だと思います。

 

小西)まずは自分の足で継続して出向くということですね。

 

田主)そうです。そこは絶対に必要だと思います。もしかしたら3年くらいかかるかもしれません。ただその後に、そういったポップアップイベントをもはや現地に行かなくてもパリのショールームなどを通じてできるようになるかもしれません。

 

小西)僕も確かにそれを言われると、現時点では恐らくそれが自分としては心地良い広がり方なような気がします。

 

【②,田主さんの経験された海外での感覚】

 

小西)たしか田主さんが海外で展開されるようになったのは2008年のイタリアのプレタポルテの祭典ピッティ・ウォモでしたよね。

 

田主)そうですね、ANACHRONORMを立ち上げて4年目のタイミングでした。

その当時は先輩で出展している方々はいましたが、あの頃は僕たちみたいにドメスティックな日本のブランドの出展はまだそこまでありませんでした。

 

小西)2008年ってなると僕はまだ19歳頃で名古屋のセレクトショップでショップスタッフとして4年目を迎えたくらいのタイミングで、まだ業界の事もよく分かっていなかった頃だと思います。ピッティ・ウォモに出展されて実際に体感された事をお聞きしても宜しいでしょうか?

 

田主)当時、向こうのバイヤーっていきなり飛びつくというよりも、少し様子を見る感じで次のシーズンくらいまでは静観するんです。そしてシーズンごとにちゃんと見てくれるという感じですかね…。

 

小西)継続しての出展が”信用”に繋がるという部分もあるのでしょうか?

 

田主)僕的にそれはヨーロッパのファッションの歴史観なのだと感じました。

僕がイタリアに初めて行って自分が作ったものを発表したとき、各国のバイヤーやジャーナリストが来て評価してくれました。人種の違いというか国民性の違いは絶対にあると思いますが、どこの何のブランドか分からないものを、古着のようだとか、このボロボロのものは何だろう、などと言いながらダイレクトに感想や評価をくれる。僕は当時、日本のマーケットに少し危機感を感じていましたが、名もなきブランドでも良いと感じたものは良いと直感的で正直な評価をくれる向こうの人々に非常に勇気付けられました。評価してくれる人は日本以外にもいるのだなと。そういった意味では向こうに行って、いいも悪いも評価を受けるということは非常に大事です。

 

小西)なるほど、今の僕にとっては非常にありがたいリアルなお話です。

先ほどのお話からすると現在の日本はその逆というか、良い意味でも悪い意味でも新しいトレンドに爆発的に集中しがちな傾向にあるような気がしますが、その点に関してはどのように受け止められていますか?

 

田主)日本のトレンドの動き方や回り方のスピードは異常です。

速く回り過ぎた結果、日本独自の新しいものがまた生まれてきているくらい大変独特なファッションの成熟の仕方をしてきた国だと思います。

 

小西)なるほど。アジアの中でも日本は特殊だとよく耳にする事があるのですが…。

 

田主)非常に特殊だと僕は思います。スタンダードとはかけ離れている。本当に日本独自でそれはガラパゴス的です。それが海外の方に結果的に評価されている部分もあると思います。

 

【③,ヨーロッパでのマーケットの変化について】

 

小西)田主さんが初めて海外に挑まれた2008年と現在のヨーロッパのマーケットは大きく変化したと思いますか?

 

田主)10年前のヨーロッパのファッションマーケットと今のそれとでは、大きく変化しています。僕がトライしていたあの時の経験談を健太郎君に話してもいいアドバイスには恐らくならないと思います。色々聞いて行ったけれども今は全然違ったなってことになると思います。ただ1つだけ言えることがあるとすれば、大切なのは、時代の変わり目を感じるということ。あの頃日本においてのファッションマーケットは飽和傾向にあり、非常に危機感を覚えていました。ちょうどファストファッションが流行り始めたときくらいで、ZOZOTOWNが徐々に広がってきていた頃ですかね。インターネットでのEコマースも少しずつ始まっていたタイミングでした。そういう意味では、僕がブランドを立ち上げた1996年からの10年と、この頃2000年代後半が大きな変わり目だったんじゃないかな。それでちょうど2008年頃、僕の中で新しいトライをしていかなければならない、という思いが膨らんだという感じです。それが今までどおり日本国内のみで卸売り業をしていく従来の形ではなく海外で新たに展開していくということでした。

 

小西)なるほど。それが海外に目を向けるきっかけの1つだったのですね。

 

田主)はい、そこから本当にいい出会いに恵まれて出展することが可能になりました。出展するかしないかを決めるのは僕なので、そこで出展を決めたのは何か新しいトライをすることで次が見えてくると思ったからです。

当時はちょうどリーマンショックがあった年だったので、非常に条件が悪かったですけど。為替も非常に大きく振れてマーケットも大きく下がったタイミングでしたが、そのような危機的状況の中でも自分の感度でトライしていくという心持ち的な部分を話せるといいな、と健太郎君からこの話をもらった後に少し考えていました。

 

小西)なるほど。大変参考になります。いずれにせよ僕のプロダクトは世間的には認知が低い分、挑戦してなんぼだと思うので、このままパリのエージェントとコンタクトを取り合って”Haruhitoらしい”かたちでトライ出来るように交渉を続けていこうと思います。

【④,多岐にわたる時代の強制的な変化】

 

小西)ANACHRONORMがスタートして4年、そして海外での展開を始めて3年後というタイミングにに東日本大震災がありしたよね。今回の新型コロナウイルス同様に多岐にわたって時代の強制的な変化を求められてきた世代だと思いますが…。

 

田主)今回の新型コロナウイルスも勿論ですが東日本大震災もとにかく衝撃でした。

僕は当時、岡山にいたのですが岡山は揺れていないので、何が起こっているのだろうという感じでした。しかし日に日に情報がリアルになっていって本当にどうなっていくのだろうと…。まさにコロナが4月に入って広がっていったあのときの感覚と近い感じだったのを覚えています。その中でアパレルという業種として何ができるのだろうか、どうあるべきかと考えていました。2008年にピッティ・ウォモに出展してからちょうど3年が経った時でした。

 

小西)海外での展開が始まって3年”、いよいよこれから”というタイミングで起きたあの強烈な出来事でマインド的に変化した事はありますか?

 

田主)そうですね。3年でやっとヨーロッパに広がって認知もされてきたというタイミングでの震災でしたので、はじめはマインドとしてなかなか向かい合えませんでした。それくらいショッキングだったので、しっかり国内を見つめ直そうとしました。お客様というのは僕たちでいえばディーラー、取引先ですが、そこにもう一度しっかり向かい合っていこうということで再スタートというか、何か一つ変わっていくきっかけになるのではと考えたタイミングでした。あのような緊急事態が起き、僕がしていることは何なのかと考えたときに、それを明確にしていくために“とにかくシンプルにしていこう”と思いました。

 

【⑤,そして今回の新型コロナウイルスでの影響について】

 

小西)先ほどもお話しに上がりましたが、歴史的な強制的変化の1つであろう今回の新型コロナウイルスによってお仕事の方には大きく変化がありましたか?差し支えの無い程度でお話し頂けると幸いです。

 

田主)当然、変わりました。岡山と東京ではかなり違うとは思いますが、東京にも店舗があるので緊急事態宣言が出る前から自粛的な休業をしていました。4月に入ってすぐくらいからです。

 

小西)緊急事態宣言の前から休業という判断を下されたんですね。

 

田主)3月末くらいに東京都から週末自粛要請が出されたので、その頃から当然そのような空気になり、感染に対するリスクも危機意識も高まってきた部分もありました。岡山にいるとそこまでまだ感じませんでしたが、東京では店頭スタッフを感染のリスクに晒しながら営業を続けるという判断は出来なかったので、”とにかく休業しよう”という事になり未だにそれは継続しています。

 

小西)なるほど。ちなみに再開のタイミングの目処は決めていらっしゃるのでしょうか?

 

田主)明日か明後日の緊急事態宣言の解除が営業再開の目安になっているタイミングなので今は再開に向けて準備をしているところです。皆さん当然そうだと思いますが、今回の件に関しては全く想像が出来なかったのではないかと思います。このようなコロナ禍の社会の変化の過程を、一部の人たちはある程度予想できたかもしれませんが、最初は皆軽く見ていたと思います。

 

小西)僕もせいぜい3月末には収まって4月には例年通り展示会が出来るだろうと軽く見ていました。

 

田主)感染が世界各地にまで広がり、そこではじめて人々の意識が高まりました。

日本ではロックダウンは出来ませんでしたが、国からあのように要請されたのは戦後初だったと思うので、本当に今回の新型コロナウイルスは今生きているほとんどの人が経験したことのない初めての事態です。

健太郎君はHaruhito jeansをしていて僕はANACHRONORMをしていて、流行真っ只中の今もそうですが起きてしまったこの後をどうするかが重要です。

 

小西)3月から4月にかけては、頭がパンクするくらい様々な情報が溢れていたような気がします。今でも情報は多いですが。

 

田主)日々情報が更新されていく中でまずは沢山の情報を入れて、ゴールデンウィークを過ぎたあたりからやっと具体的に今後の形を決めていこうという事になりました。店の在り方は大きく変わると思いますし、ブランド運営やものづくりなど全てにおいてコロナ前とはもう違う世界になったという感覚です。

 

小西)僭越ながら僕も体感としてそれを毎日感じざるを得ません。アパレル産業しかり他の業種においても同じだと思います。

しかし、そのまま何もアクションをしない訳にもいきませんし。

 

田主)そうですね。

 

小西)僕はまだ明確な答えが出ていないのですが、新型コロナウイルスの件でお伺いしたかった事が”アフターコロナ”いわゆるコロナが収まったときのアパレル産業の姿というか今回の時代の強制的な変化についてです。ANACHRONORMとしてはどのように捉えられてらっしゃいますか?

 

田主)4月中はとにかく多角的に情報をたくさん入れていきました。そこから、今自分がしていることに落とし込んでいきました。

ANACHRONORMとしてブランド自体はもう15年で、会社はもう少しで25年になります。今回いろいろなことが止まってしまい世界的に影響を受けていない国はないくらいの状況の中で、ここが今まで僕が1990年代から始めてここまでやって来たシステム自体を変革していく1つのタイミングなのではないかと思いました。

 

小西)各国のファッションウィークも延期や中止などの発表が相次いでいましたよね。

 

田主)そうですよね・・・ブランドを運営していく上で、春夏と秋冬シーズンの展示会がブランドビジネスの基本なのですが、今回自分がしてきたANACHRONORMではこの展示会自体をどうするかというところまで考えました。正直、そこに対してはまだ答えは出ていませんが、展示会で発表して全国の取引先に見てもらい注文をもらって生産をしていくという一連の流れをこれからは根本的に考え直していかなければならないのではと思いました。具体的にはまだ言い切れませんが。

 

小西)今まで25年間基軸とされてきた業界のシステムにすら見直しが必要ということでしょうか?

 

田主)そうです。今回の件を受けて、まずは出口としてどのようにお客様に届けていくかという部分が本当に大きいです。インターネットでの社会変化が今どんどん加速しています。

 

小西)そうですね。オンライン化は一気に進んだように実感しています。インターネットが苦手な僕ですらこの3か月ほどはZOOMを使用しての会議がほとんどでした。

 

田主)われわれブランドとしてはそれに対してどのように向かっていくのかという事と、もう1つ僕たちがいる場所は入り口で、モノを作ってくれているパートナーというか、地場の工場の方がいます。そことの関係性も非常に大事な立場にあるので、総合して考えていったときに、実はもう新型コロナウイルス前から少しずつ無理が出てきていると感じていました。長年続けている中で、時代が変化しているにも関わらずやっていることが変化していないという事にかなり疑問を持っていました。今回のコロナがそのことをきちんと考えなおすきっかけとなりました。そこで大事なのは、何を基軸とするかということだけは明確にすることです。健太郎君のHaruhito jeansにおいては、エンドユーザーとのつながりの深さと自分自身でモノを作れてしまうところが強い基軸なのではないかと思います。

 

小西)たしかに僕はディーラーよりもエンドユーザー1人1人と直に接している時間の方が圧倒的に多いと思います。

その分プロダクトの世間的認知のスピードはすごく遅いというか広まりづらいという側面は付随してきてしまいますが。

くわえて自分自身で縫製まで手掛けるとなるとやはり1年間に生産できる数量も限られてくるので、今は1年間に200本迄と上限を決めて運営をしています。

 

田主)ブランドとしては何を軸にして今後進んでいくかという事だけは、このタイミングで再確認するなり、そこ自体を決めるなりするべきだと思います。ただ、ある程度その状況に応じて表現の仕方や伝達の仕方などは変える必要があります。ものづくりが大きく変わることは、ほぼないとは思います。ただ、新しいものにトライすることはあるかもしれませんし、今回のことはそのきっかけとして大きな意味を持つはずです。色々なものを固定したまま前に進むのではなく、僕としてはエンドユーザーにもっと寄り添っていけるように今まで以上に意識し、そこをベースにして考えていけば状況に応じていろいろできるのではないかと思います。僕たちが始めたアパレルのシステムに対して確実にアンチテーゼをぶち込んできているという健太郎君の行動は、だからこそ面白いし、もっといえば僕はそれに対して興味を持てるし、勉強もしたいです。非常にそう感じます。

 

【⑥,2人のファッションビジネスにおける”スタンス”について】

 

小西)僕と田主さんが会うたびに話す共通の話題の1つに田主さんの世代の”ブランド”のスタンスと僕の世代のスタンスは逆行しているという話がありますよね。田主さんの世代は生々しい姿は決して見せないというか…。言い方は変かもしれませんが圧倒的憧れで近づきにくく良い意味でエンドユーザーと距離を取るというスタンスですよね。

 

田主)そうですね。エンドユーザーと距離を取ることが憧れにつながっていくというロジックで、1980年代から続いてきているものでした。メディアの取材でもそこまで生々しいことはあまり言いませんでしたし。それよりも今シーズンの話やカルチャーの話などがメインでした。僕からしたら自分がしてきた事とは本当に真逆です。しかしやっぱり健太郎君のような新しい世代は真逆なことをするのです。僕も立ち上げのときはそうだったし、してきたつもりだったのが年月を重ねていく中で、ある程度出来上がったシステムを今度は維持していく方向に向かっていってしまう時期がどうしてもありました。1990年代に立ち上げて、2000年代がそうだったと思います。

 

小西)いい意味で寡黙というか一方通行の表現に魅力があり、15年前に僕がこの業界に入った頃もまだ生々しい情報を世の中に出すのはご法度で、エンドユーザーにはそのような姿は見せないほうがいいという声のほうが強かった記憶があります。

ただ僕は世の中的になんとなく「ナシ」とされている事が「アリ」に変わる瞬間に興味があるというか、感覚的になんかいいなって思ったことを大切にしたいという気持ちは常々あります。

 

田主)逆に僕もそんな健太郎君の感覚を今回勉強させてもらおうと思いました。この年でまだ勉強かという感じですが。健太郎君の年齢からすると僕がちょうど50歳なのでもしかしたら3世代くらい違うかもしれません。たぶんまだまだ自分の中で、吸収したり勉強したりしたいという貪欲さはそれほど変わっていないと思いますから。

結局、目標は決めているということですよね。その世代の感度にどれだけ正直になれるのか、感覚をどれだけ信じらるのか、それに従ってあとはそれらをどう形づくっていけるかだと思います。そのためには他からのサポートは絶対に必要になってきますが、まずはそこの感度さえあればいいと思います。どの時代もそうかもしれませんが感度がなければそこにまで至りません。

 

小西)僕が50歳になった時に田主さんのように3世代下の子と会話のできる大人に果たしてなれるのかというと今は全然イメージができません。

 

田主)なっていると思います。絶対、大丈夫です。

僕たちがやってきたシステムに対する健太郎君としてのアンチテーゼで始めたこの形はパリでもロンドンでも通用しますし、ニューヨークでもできます。

 

小西)今回のこの対談がどのような反響があるかは僕も分かりませんが、自分の悩んでいる姿をエンドユーザーに晒し、僕の悩みをエンドユーザーにも同じ目線で生々しく共有してもらうことが”Haruhitoらしさ”なのかなと今は思っています。

 

田主)僕も今回この話をもらいこのように話すことが、いい機会になりました。というのも、これから何を基軸にするかということに関して、“よりお客様に対して”という部分を僕たちなりにANACHRONORMなりに実現させていこうと思っていたところなので、エンドユーザーさんに対する僕なりの表現方法を考えていく上で、こういったことが一つのきっかけになりそうです。逆に今度は僕がチャンネルをつくって、ゲストで来てもらうということはあり得ます。

 

小西)それはある意味すごく怖い話ですね。その時僕は何を話せばいいのですか?

 

田主)アニメの話をしましょう。

 

小西)知識の薄さに、田主さんのファンから袋叩きにされるかもしれません…。

 

田主)こういう新しいアクションは面白いと思いますし、僕はすごくいいきっかけになったと思います。

 

小西)次は屋外でのんびりと対談ができるといいですね。

 

田主)ビーチでしているかもしれませんね。

 

小西)それは凄く楽しそうですね。次回は是非ビーチで行いましょう‼︎

今回はご多忙のところ本当にありがとうございました‼︎

 

田主)こちらこそ、ありがとうございました。

 

小西・田主)またお会いしましょう‼︎

 

今回はANACHRONORM田主さんとHaruhito jeans小西よりそれぞれ1点ずつ読者プレゼントを御用意させて頂きました。プレゼントの応募方法は本記事のどこかにある《次回の対談が行われるかもしれないロケーションはどこか》を記載しANACHRONORMもしくはHaruhito jeansの公式インスタグラムにDMを下さった方の中から抽選で2名様にプレゼントをお送りいたします。

 

ANACHRONORM Instagram / @anachronorm262 / https://instagram.com/anachronorm262?igshid=1evb2pr0k0qy3

Haruhito jeans Instagram / @haruhito_jeans_official /https://instagram.com/haruhito_jeans_official?igshid=s5mkqqbj031

今回の対談での会場の提供はMarble Room

そしてサウンドはHaruhito 2020 Conceptual MIX (All Vinyl) を手掛けてくれたKIYOTO氏を迎えてお送りいたしました。Haruhito 2020 Conceputual MIX音源は下記のURLからご視聴下さいませ。

 

【Haruhito 2020 Conceptual MIX (All Vinyl) by KIYOTO】

https://soundcloud.com/user-911233478/haruhito-jeans-2020-conceptual-mix

 

【ANACHRONORM Official Web Site】

http://www.anachronorm.jp/

 

【Marble Room Official Web Site】

https://www.fortyfiveokayama.com/marble-room/

 

【Conversation Guest】

田主 智基  (TANUSHI TOMOKI)

岡山県倉敷市出身 1970年生まれ

1990年 桑沢デザイン研究所 ファッションデザイン科卒業

80年代から90年代の大きく変化した混沌とした時代に東京の中心でファッション・音楽・サブカル・などのカルチャーをリアルタイムで経験する。

そして岡山市平和町に 1996年11月『balanceokayama』を出店、同時にオリジナルブランド”balanceweardesign”を設立する。

2004年 プライベートブランドとしてANACHRONORMを設立、地場繊維産業の生産現場との取り組みでビンテージ加工デニム “TYPE α” の1型からスタートする。ANACHRONORM設立から4年後、2008年 イタリアフィレンツェで開催されるトレイドショー ”Pitti Imagine Uomo” に初出展、海外展開をスタートさせる。しかし2011年の東日本大震災をきっかけに、海外展開を一時撤退、国内のお客様に向かい合うことを決める。

2014年 設立から10年をむかえ、それまでのANACHRNORMの展開を一度完結させ現在新たなスタイルでのモノづくりを発信中